技術ー他者との相互理解のきっかけ

技術は芸術と並んで足利豎学会の教養を一本の木に例えると、”葉”としての役割を担います。葉は木の中でまず人目に触れる部分ですが、技術も同様に、他者と触れ合う際の最初のきっかけとなる教養といえます。あるいは、哲学、歴史、宗教などの基礎となる教養が体現したものが技術や芸術であるということもできます。

 

技術と芸術の違い

足利豎学会の教養としての技術が何を指しているものなのか、まずそれを明確にするために芸術と比較してみます。技術というと最近では科学技術(technology)のことを念頭に置く人が多いかもしれませんが、足利豎学会で扱うのはより広い意味をもつ技術(technic)です。

一方、芸術はアート(art)であり、この芸術(art)も広い意味を有しています。実は、語源を辿ると技術(technic)と芸術(art)はもともと同じものを指す語だったのです。

技術(technic)は古代ギリシア語の「techné(古代ギリシア語表記ではτεχνη)」に由来していますが、芸術(art)は「techné」に対応するラテン語である「ars」に由来します。「techné」ないし「ars」はもともと「自然」に対する「人工」を指していました。

しかし、同じ起源を有する技術(technic)と芸術(art)は、近代における科学技術(technology)の登場によって分かれることになります。科学技術(technology)によって「人工」の力が増していくにつれて、それまでの芸術(art)は特に美術や音楽などの芸術的創作を指すようになりました。一方で、技術(technic)は「人の手による技術、技法」を広く指す語として残りました。

これらを踏まえて、足利豎学会では、技術(technic)は広く「実用あるいは文化事のための人の手による技」のことを指し、芸術(art)は絵画や音楽など、美を求めて表現された創作のことを指すこととします。技術(technic)には、英語などの言語や茶道・華道などの文化道が含まれます。

 

技術を修める意義

技術を教養として修める意義を一言でいえば、「他者との違いをお互いに理解するためのきっかけ」になるということです。宗教について直接話をすることは憚られるかもしれませんが、技術として現れているものについて、その意味や考え方などを聞くことは容易です。

例えば言語の違いからは、外国の人との考え方の違いを多く見つけることができます。「What makes you happy?」は直訳すれば「何があなたを幸せにするのか?」となりますが、日本語でこのような聞き方は一般的ではなく、「どういう時に幸せを感じるか?」「どうしたら幸せになれると思うか?」といった聞き方が自然になります。

この違いの背景には、英語では主語と目的語を明確にして「~する」と作用の関係を明示する傾向にあるのに対して、日本語では作用の関係や主語を曖昧なままにし「~になる」という語を好んで用いる傾向がある、ということが考えられます。

このような違いは、言語だけでなく、茶道や華道などの文化事を通して、また日常生活の様々な所作や、その他の技術についても同様にいえます。

昨今では外国語翻訳を自動で行う機器なども発達してきましたが、日本語と外国語の思考様式の違いを考えると、そのような機器だけでは伝えられない、また理解することのできない側面は依然として残ることでしょう。他者との相互理解を深めるためにも、技術を修めることが必要となります。

 

教養としての技術を修める方法

技術は実用あるいは文化事のための人の手による技を広く指すものであるため、個別の技術に応じて適した修養方法を採ることが求められます。ただし、実践的な修養と必要な知識の習得が基本的な方法となります。

教養としての技術で取り扱う内容は、特に限定されるべきものではありません。先に挙げた文化道や言語の他にも、服飾に関するものや料理なども技術として含まれます。

重要なのは、他者と語らい合うきっかけとなる教養を身につけることであり、またそのために技術の習得に専心していくことなのです。

 

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