歴史学ー現在を理解し、未来へ向けて進むための鏡

歴史学は足利豎学会の教養を一本の木に例えると、宗教学と共に”幹”の役割を担っています。”土壌”の哲学や”根”の修辞学はどのような対象に対しても及ぶ”根本的”な教養ですが、それゆえに一見するとわかりづらいという一面もあります。

歴史学は宗教学と並び、地上に現れ外側から見える教養の中で、最も基本となる教養となります。

 

歴史を学ぶ意義

「歴史」ということで思い浮かべるイメージは人によって実に様々です。「歴史は趣味」という人がいる一方、学校で「暗記教科」として苦手にしていた人も多くいます。「過去は振り返らない」として歴史を不要だと考えている人もいるかもしれません。

しかし、過去は単に過ぎ去ったものではなく、現在を理解し、未来へ向けて進むための鏡でもあるのです。例えば、ニュースでよく取り上げられる国際問題にしても、そのルーツは常に当事国同士の過去に見出すことができます。

「もともとこの地には私たちの祖先が住んでいた。私たちの土地だ」「いや、私たちは他国からこの地に住むことを約束されたのだ。私たちの土地だ」といった具合で、歴史的な経緯が引き金となって現在の問題が生じているのです。そのため、今の世界情勢を理解するためには歴史を知ることは不可欠だといえます。

また、社会問題やその他の事柄について他者と話をする際に、歴史学を修めていることがそのパスポートのような役割を果たします。実際に、欧米の知識エリートたちは常々「ローマ史」から人物や事柄を例にあげ、21世紀現在の政治や経済の話をします。

もともと、ヨーロッパ諸国はメソポタミア文明の影響を受け、古代ローマ帝国の繁栄を謳歌し、西ローマ帝国によりキリスト教カトリック信仰を強めた初期の歴史的背景を共有しており、共通理解が得やすい状況にあります。

そのため、ローマ史を知識階級の基本となる『例え物語』とし、今なお「政治」「経済」「軍事」「教育」「芸術」へ活用していることは必然かもしれません。また、このことは、「歴史学は他の学問を学ぶための重要な手段になる」ということも示しています。

 

教養としての歴史を学ぶ方法

かつては、例えば足利学校において古今東西の書物兵学に通じた能化や軍配師が各地の武将に仕え、春秋戦国時代の王、将軍、諸子百家などの『例え物語』を広く活用し指導者に講義していました。今と未来を映し出すための鏡となるような歴史が学ばれていたのです。

しかし、残念ながら現状の日本の教育において「歴史」とは客観性のみを抽出した暗記物の教科とされ、ヨーロッパ流の意義も、または壮大な人間ドラマも感じ取ることが大変難しく、学ぶ醍醐味を失っています。

今を生きていくための鏡として歴史を学ぶには、当時を生きた人物に焦点を合わせることが必要です。歴史に名を遺した人物の生きた視点を通じて当時の世界や選択を”追体験”することで、無味乾燥だった歴史的事実は、多くの教えに富んだ生き生きとした物語へと変わります。

足利豎学会の教養としての歴史学も、歴史的人物に焦点を当て、その経験や生き様、考え方を学ぶことをその主な方法としています。このような学びを通じて、現在を理解し前へ進むための教えを歴史の中から得ることができます。

長い歴史の中には、各々が憧れる偉大な先人も必ず存在していたはずです。尊敬に値する人物に私淑し薫陶を受ける、そして自分の人生や社会に活かし還元する――これは、先人からバトンを受け取った私たちの恩返しの方法でもあります。

「個人が偉人に憧れ、国が大国に憧憬を抱く」

歴史を学ぶという過去との対話を通してのみ、私たちは個人であれ組織国家であれ、より良い現在と未来を歩くことが可能になるのです。

 

< 修辞学   |   宗教学 >