修辞学ー価値ある物事や考えを広めていくために

修辞学は、足利豎学会の教養七科目の中で最も「伝える」ということに重きを置いた科目です。自分から他者に何かを伝えるためには、自分の内にあるものをそのまま出せば十分ということにはなりません。なぜなら、自分と他者では前提知識も信条も興味関心も異なるからです。そのために、修辞学という「伝える」ための実践的な教養も必要になります。

足利豎学会の教養を一本の木に例えるとすれば、修辞学は豊かな土壌を木に必要な養分や水分に変換して、木全体に届けていく”根”のような役割を担っています。

 

修辞学とは?

修辞学とは、自分の考えや主張を相手に効果的に伝えることによって、理解・納得を得るための技術・学問のことを指します。英語では「レトリック(rhetoric)」であり、むしろ英語名の方が聞き覚えのある人が多いかもしれません。

英語の「レトリック」は古代ギリシア語の「rhētorikē(古代ギリシア語表記ではρητορική)」に由来していますが、修辞学の起源も古代ギリシアに遡ることができます。

古代ギリシアのポリス(都市国家)では歴史的にも珍しい直接民主制が取られており、政策を決めるのも、重要な地位の人選も、法廷での決定も民衆の多数決により決められました。そのため、弁論によって聴衆の支持を得ることは、立身出世のためにも、また裁判で身を守るためにも重要な事柄となったのです。

そのため、古代ギリシアではソフィストと呼ばれる、修辞学(弁論術)を業として教える人達もいました。当時の哲学者であるソクラテスやプラトンは「ソフィストは知らないことを知っているかのように語る存在」として批判しましたが、その後のアリストテレスは改めて学問としての修辞学の価値を見直し、体系化を行ないました。

このような修辞学は古代ローマにも引き継がれ、キケロやクィンティリアヌスなどの有名な弁論家の貢献によってさらに学問として体系化され、教養=リベラルアーツの一科目として位置づけられるようになりました。

 

修辞学を教養として学ぶことにより得られるもの

修辞学はそもそもが実践的な学問であるため、学ぶことにより得られるものを答えるのは難しくありません。つまり、修辞学を通して自分の伝えたい考えや主張を他者に理解してもらい、また納得してもらう力を得ることができるのです。

この力は、他者とのコミュニケーションが求められる現代において特に重要であるといえます。かつては、身分や立場上の上下関係が生活のあらゆる領域に及び、下の者が上の者に対して異を唱えることも難しいような状況が多くありましたが、最近では代わりにお互いが話し合うことで意思決定をする場面が増えてきています。

医療におけるインフォームドコンセント、ないしインフォームドディシジョンの普及はその良い例です。以前は、医師が自らの良心に従い治療方針を決定していましたが、今では、医師が治療に関する情報を提供しつつ、患者と話し合いながら決めるようになってきています。背景にあるのは、患者の自己決定権の尊重です。

このように、現代では何かを意思決定するにあたって、権威や関係性をもとに一方的に決めることは難しくなり、以前は見逃されていた多様な人の多様な権利とも向き合う必要が出てきています。そのため必然的にコミュニケーションの重要性は高まり、そこで効果を発揮する修辞学の力も、ますます求められるようになってきています。

もちろん、力というのは善にも悪にも活用できてしまうものです。修辞学による他者の理解・納得を得る力もその通りで、過去に修辞学を悪用した扇動家が社会を混乱や破滅の道に導いてしまった例も枚挙に暇がありません。

しかし、だからこそ修辞学は他の教養科目とともに修める必要があるのです。何が大切で価値のあることなのかについて、教養を修める中で自身の認識を深め、本当に価値を認められる物事や考えを広めるための手段として修辞学を活用することが、教養としての修辞学を学ぶ本来の意義なのです。

 

修辞学について取り扱う内容と修養の方法

足利豎学会の教養として修辞学で取り扱う内容は言語学と演技学に分かれます。言語学では、論理や構成、言葉選び、その他の言語的要素を用いた効果的な表現手法を学びます。演技学では、口振りや身振り、手振り、その他の非言語的要素を用いた効果的な表現手法を学びます。

アリストテレスは修辞学による説得の三種として、人柄(エートス)による説得(信頼に値する人物と思ってもらう)、感情(パトス)による説得(聞き手の感情・印象に働きかけることによる説得)議論そのもの(ロゴス)による説得(議論の内容により「もっともだ」と思ってもらう)があるとしています(『弁論術』アリストテレス著、戸塚七郎訳、岩波文庫、1992年)。

言語学はエートス、パトス、ロゴスいずれにも及びますが、そのうち中心になるのはロゴス、つまり議論そのものによる説得です。対して演技学は、エートスとパトス、つまり人柄や感情による説得が対象となります。

言語学、演技学いずれにせよ、修辞学での修養の方法は、討論(ディベート)や演説(スピーチ)の実践とその振り返りが中心となります。修辞学は実際に伝える場において活かせなければ無用の長物になってしまうため、足利豎学会では実践の場を定期的に設けることによって、修養の機会を提供しています。

 

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